由利カオル

目標週一 実質月二 エッセイなど

#5「昨日までのひやむぎにごめんね」

 私の世界に、数日前まで「ひやむぎ」は存在しなかった、と言ったら驚くだろうか。

 四月に引っ越しをするにあたり、お茶漬けやカレールーやらが実家から押しつけられた。その箱の中でそいつは眠っていたのだ。

 「ひやむぎ」とでかでかと書かれたパッケージ。下部には、涼しげな器に盛り付けられたいかにも「そうめん」な写真が付いている。

 私は当初、見慣れない袋があることに気がついたものの、特に何をするでもなかった。季節は肌寒いくらいで、「そうめん」を食べるにはまだ早かったからだ。そして棚に忘れ去られたままひと月が経ち、ふた月が経ち、じめじめした梅雨が訪れた。私はごく自然に麺を茹で、つゆを用意し、そうめんと同じくそれを茹で、そうめんと同じく食した。

 つるんとした喉ごし。モチモチのハリのある麺。言ってみればうどんとそうめんの合いの子のようなそいつの名前を、私はもう一度見た。

 ここで恐ろしい疑問が生じる。ひやむぎ、なる事象は昨日までの私の世界には存在していなかった。なのに何故実家からの荷物に入っている? その答えを探すため、調査隊(1人)は事情を知る関係者にコンタクトを取ることにした。

「ひやむぎ? お前実家で食べてたよ。ひやむぎだと知らずに」

 電話口であっけらかんと姉が言う。嘘だ、と漏らした声がスマホのスピーカーに吸い込まれていく。だってそうめんとは食感が全く違う。麺の太さだって、見た目で違うのがわかる。なのに私は白くて細い麺は全てそうめんだと思っていた。言ってしまえば、愛する恋人だと思って腕に抱いたうちの何度かは違う人間を抱きしめていたのだ。健気なひやむぎはそれに耐え、甘んじて受け入れてきた訳だ。すまない。すまない、ひやむぎよ。

 だからなんだよ、という話になる前にきちんとそうめんとひやむぎの違いについて話しておきたい。

 実はこの似通った二つの麺は歴史的にも異なる製法の、別々の麺だった。リケンのweb記事によると『小麦粉を塩水でこねて生地を作り、油を塗りながら手を使って細く延ばす麺が“そうめん”、平らな板と麺棒を使って生地を薄く延ばし、刃物で細く切る麺が“ひやむぎ”や“うどん”』らしい。

  https://sozairyoku.jp/column

 それが明治時代に入り製麺機ができると製造方法の違いが曖昧になっていき、今はJAS規格によって定められた1.7mmという太さの違いのみによって区別されることになった。

 そのことを思うと、つんと胸を刺すような悲しみに襲われる。言葉によって世界が分節され、認知されるという説を唱えたのはソシュールだが、この世界には私が名前を知らないことで「見えない」「存在しない」物や人々が沢山あることを知らされる。そのひとつが、私にとってのひやむぎだった。

 

 

 一方、名付けが持つ暴力的な異化の力についても忘れてはならない。

 仙台市東北歴史博物館という場所がある。つい先日旅行で訪れたここの常設展では、古代から現代にかけての歴史や遺物が東北地方にフィーチャーされて展示されている。

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 そこで何よりも私の心を掴んだのは奈良時代に「生み出された」蝦夷(エミシ)・伊治呰麻呂の乱の展示だった。

 エミシ、と聞いてどんな風貌の人々を思い描くだろうか。日本史を覚えている人は朝廷に従わない野蛮な民族、のように想像する人もいるかもしれない。しかし、東北歴史博物館の展示は入口の旧石器時代から縄文、弥生、古墳、そして奈良時代までを流動的な一つの流れとして描いている。人々は狩猟・採集をして生き、また農耕をしてムラという共同体へまとまる。それがクニとなり、権力を集中させ、中央集権国家へと変わっていく。そこで語られる「エミシ」とは、異なる民族などでは全くなかった。同じ島の違った地方に生きる、似たような生活をする人々に過ぎなかったはずだ。

 時の権力は、そうした人々に対し「エミシ」という蔑称をつけることで、自分の勢力下に組み込むための侵略を正当化した。東北歴史博物館は確かに「エミシ」が生み出されたものだと確かに記述している。

 その侵略の終盤に起こったのが780年、伊治呰麻呂の乱である。呰麻呂は按察使(当時の朝廷から送られてくる県知事的な役人)紀広純を殺し、東北支配の拠点であった多賀城を焼き払った。その知らせはすぐに平城京に届けられ、支配が磐石だと信じ切っていた貴族たちを震え上げさせたという。

 展示を見ていた私には、伊治呰麻呂の乱がまるで当時の人々のやる方ない憤りの噴出であるかのように感じられた。異民族として扱われ、暴力を振るわれ、従うしかない人々の怒りと悲しみが剣となり火となり血を流し、燃え広がる様を想像した。

 東北地方は、今や疑うこともなく日本というクニのいち地方だ。だが、今の姿になる前に流された血と涙を、呰麻呂に剣を取らせ多賀城に火を放たせた憤懣を、私は覚えておきたいと思った。

(ちなみに、こうして「日本人」「土人」「外地人」の境界を操作し、アイヌ琉球の人々、台湾や朝鮮の人々の権利を奪うことは近現代でも度々行われた。詳しくは下の書籍が面白かったので是非。)

 名前をつけなければ失われていくものがある。名前をつけることで奪ってしまえるものがある。そんなことを考えながらひやむぎを啜る。うん、やっぱそうめんとはまた違った美味しさだなあ。暑くなってきたので皆様も是非、なんておすすめして今日はここまでで許されたい。終わり。