由利カオル

目標週一 実質月二 エッセイなど

#4「ダナンの白鳩」

 

 

 ダナン、という美しい街がベトナム中部にある。穏やかな海と安い物価が魅力的な発展途上のリゾート地だ。フランス植民地時代の絢爛な歴史的建造物が並ぶ観光地、ホイアンからも近く、近年インバウンド人気が高まっている。

 そのダナンに、二年前、日本なら2万は軽くする宿に400万ドン(約2000円)で友人と泊まった。部屋は広く、ビーチまで徒歩5分。なのに屋上にもプールがついていた。受付のお姉さんは甲斐甲斐しく、タオルを忘れたまま降りてくるうっかり屋の海外観光客二人にも、ふかふかのタオルを持たせビーチへと送り出してくれた。立ち並ぶリゾートビルと工事現場が作る凸凹の空を横目に、ペプシのロゴがでかでかと貼られたゲートをくぐる。

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 海は温かく、二人で散々はしゃいだ。夕方になり、そろそろホテルへ戻ろうかというその時、私の目は吸い寄せられるように一点へ釘付けになった。

 白い艶やかな翼だった。ふっくらした純白の体からすらりと伸びる足はしかし、黒ずんだ排水溝のコンクリの上に立つ。彼は、あるいは彼女は、こつこつと拳大の大きさのパンをつついていた。まだ食べられるくらい新しいパンだ。黒ずみの中で捨てられたパンをつつく彼/彼女を見た瞬間、私の頭に浮かんだのは、どうしてか「白い鳩だ」ということだった。

 

 

 ベトナム、という国名を聞いて何を想像するだろうか。フォーや生春巻きといった食文化。密集したバイクの渋滞。はたまた、ニュースを見ている人であれば技能実習生、なんてワードも思い出すかもしれない。

 ではベトナムを知る人の何割が、ベトナムのねじれた過去と現在を想像できるだろう。隣国であり中越戦争でも戦った中国への感情は決して良くない。だが取引額トップの相手であるがゆえに無視はできない。20年のベトナム戦争で傷ついた大地には未だ不発弾が埋まっているけれど、最大の輸出国であるアメリカは大好きだ、と言う。まるで日本がそうであるように。

ベトナムはね、若い人が多いでしょう。だから過去のことにはあまりこだわらないです。平和が好きだから」

 ツアーガイドのおじさんがあっけらかんと言い放った言葉を思い出す。だが、過去をおざなりにすることは必ずいつの日かのしっぺ返しを連れてくる。おじさんがどれほどにこやかに私に話を向けても、私の出身国が70年前におじさんの国を侵略し、物資を強奪し、200万人を餓死させた事実は消えないのだ。

 「経済成長」という誰かが放って捨てたパンをつつくために諸々の問題を後手に回してきたのは日本も同じだ。そのせいで現在、歴史認識や安全保障の議論が噴出している。今日本が平和を議論できるのは経済発展がひと段落したからだという意見もあるだろう。けれど、豊かさは平和の一条件でしかないと私たちは知っている。

 今思えば海辺なのだからあの白い鳥はカモメやウミネコの類だったのかもしれない。けれど私にとっては鳩だった。平和の白い鳩。そして彼が、つつくパンを捨てたのは、他でもない「私」だ。

 最近のコロナ禍で、勤務先の7割が労働基準法に違反した事業所だという技能実習生はベトナムに帰れず、当初予定していた技術の習得とは全く違う業務を行なっていることもままあるという。

技能実習生働く事業所、対象7割に法令違反 昨年調査」【中日新聞web 2020/12/03】https://www.google.co.jp/amp/s/www.chunichi.co.jp/amp/article/164039

「コロナ禍 行き場失う外国人技能実習生 国に実態調査を要請」【NHK NEWSWEB 2020/11/09】
 

 だからこそ、ダナンのリゾートで見た白鳩の残像は先進国から旅行する私の責任としてきっと繰り返し思い出されるだろう。ホテルのお姉さんの甲斐甲斐しさと共に。少し真面目な話に疲れてきた。明日は早朝から海鮮を食べに行くので、今日はここまでで許されたい。終わり。