由利カオル

目標週一 実質月二 エッセイなど

#15「母が偉人で父が無賃運転手であった頃」

 

 

 最近、車というものがいやに好きになってきている。その事実を噛み締める時、まるで自分の知らなかった一面を知るような、不思議な気恥ずかしさと嬉しさに包まれる。

 というのも、少し前までの私は大の車嫌いを声高に主張してやまない一派だったからだ。父親の車に乗せられていた頃、車は乗り物酔いを引き起こす代償に目的地へ届けてくれる悪魔の箱であり、その証拠に妙な異臭がした。微かに漂うガソリンの、あの外では絶対にしない臭いが、酔いと車への憎しみを増長させた。そんな存在である車を手に入れたのは、もちろん憧れや自慢のためであるはずがなく、①仕事で使う時の練習、②地方の移動手段が自転車orバスは辛い、という大変実利的な理由からだった。なので購入の際も大した拘りもなく、一緒に中古車販売店に来た父の方がよっぽど車選びを楽しんでいるんじゃないか、と思ったくらいである。

 この父というのも、不可解な存在であった。父は一般的なサラリーマンで、平日は働き土日は休む生活をしていたのだが、その一週間の七分の二という貴重な休日に私の習い事で送り迎えしたり、色んな教室や公民館でものを教える仕事をしている母専属のタクシー運転手(※無賃)になったりしていた。それだけではなく、家族でたまには旅行に行こうか、という話になっても父親は断固として車で行きたがった。新幹線やら飛行機やらより安い、という理由で半日かけて一人で京都まで家族三人を乗せて運転したこともある。その時は朝三時に叩き起こされ、眠い目を擦りながら一家で荷物を詰めて車に乗り込んだ。どう見ても夜逃げの光景であった。

 その時も「ようやるな」と思った娘であるが、大体は父親のけちんぼな性格に由来しているとはいえ、それだけではなかったのだなあということを、車を運転する側になって初めて実感しつつある。車を運転するのは、一言で言ってしまえばとても楽しかったからだ。なんというか、車には人間の根源的な快感が内包されている気がする。私たちは自分の足の長さ分しか歩いても進まず、走らなければ出せるスピードは時速五キロ程度。自転車に乗ればもっと早いが、結局それもペダルを踏んで時速二十数キロが関の山だ。でも、車はペダルを踏むことで簡単に「超人的な」スピードで走ることができる。万能感。優越感。雨や雷に左右されることもない。天候さえ超越した安心感。

 おまけに、電車やバスでは行くことが難しかったどこへでも、思うがまま向かうことができる。その気持ちよさたるや、初めてひでんマシン「そらをとぶ」を使えるようになったポケモントレーナー並みである。

(ところで、最近のポケモンはひでん技の概念がなくなり、自分のポケモンにはバトルで使える技しか覚えさせる必要がなくなった。いあいぎり(タイプノーマル・威力50)とかいうバトルにおいてのウンチ技を覚えさせずに済み、冒険の不便さが和らいだといえば確かにそうなのだが、あの不便さと反比例して生み出される、自分のポケモンと一緒に冒険している実感、自分のポケモンが次の道を切り拓いてくれる喜びは遠くなってしまったように思う。私のビーダルLv.15【わざ:いあいぎり なみのり かいりき ロッククライム】は元気だろうか。今度発売するリメイク版のブリリアントダイヤモンド・シャイニングパールでも彼にまた会いたい。)

Together

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  • あきよしふみえ
  • アニメ
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ロッククライムほら乗り越えたら~グッグッスマ~♪

 

 掌で豆腐を切っていたあの日、母は偉人だった。何故かとてもよく覚えているのは、その時の私が反抗期の入口であったからだろう。小学校中学年の生意気盛りの私は冷蔵庫に飲み物を戻しに台所へ行く途中、掌の上で豆腐を切る母の姿を見て飛び上がった。

「え!? 何してるの、手切るじゃん!」

 慌てる私の声を聴いて、母はぐつぐつ煮えている鍋とその上の掌に乗った豆腐から目を逸らさず、噴き出すように笑った。

「切らないよ。豆腐はこうやって切るの」

「なんでそんなことすんの!?」

「これだったら、豆腐手に出して、切ってそのまま鍋に入れられるでしょ」

 三秒ぐらい固まってから、私は「……おぉ~」と声を出した。勉強に口煩い母に反発していたので言葉にはしなかったがこの感嘆符は「すっげぇ……」という意味がこもっていた。この時ばかりは、母が伝記に載っている発明家のように思えたのだ。

 今一人暮らしをして同じ方法で豆腐を掌の上で切って鍋に入れてみているのだが、これが案外難しい。まっすぐ切れないので、なんだか後ろの方が薄っぺらい豆腐が混入しがちである。あんなに簡単そうに見えたのになあ、と首を捻るばかりだ。自分の車を運転するようになって、後部座席に乗っていた頃の父が少しずつわかり始める。かと思えば、わかっている気になっていた母のことがわからなくなったりする。

 ただ、沁みるように理解するのは、「わかる」瞬間が即座に訪れるように世界はできていないんだろう、ということだ。物理的に離れたことで現在は円満にやっている両親に一つ屋根の下で暮らしていた中高生の時に向けていたあの息苦しさ、あの憎しみが間違いだったとは思わない。小学校で習う歴史が高校や大学で習う切り口では全く違うように理解できることも学ぶ喜びだし、やっている仕事が何に役立っているかよくわからない箇所も違う仕事をすることで繋がってわかるようになる、と言われたことも、今では確かに、と思う。最近はそんな感じの日々です。

 どうしよう。まだぴちぴちの若者なのにこんな老成した文章を書いてしまった。このままでは婆になった晩年には年を追い越しすぎて死んだ後の未来のSF記事を書いているかもしれない。いや年とっても文を書いているかはわからないけれども。まあいい、今日はここまでで許されたい。終わり。