由利カオル

目標週一 実質月二 エッセイなど

#2「宗教なんて無くなってしまえ」とあなたが言うので

 

 

(ホラーが苦手な方は※※※マークが出るまで飛ばしてください)

 

 

 気がつくとダイニングテーブルの前に着席していた。木目の正しいテーブルの上には、豪華な晩餐が並んでいる。私の他に、私の恋人と姉がそれぞれ座っていた。誰一人喋らない。とても静かだ。

 私はそこで、あることを告げようとしていた。仕事の都合で、これからの生活は転勤を迫られていること。恋人とは離れて過ごさねばならないこと。姉はキャリアを得る私の背中を押してくれたが、普段の態度から恋人の方はそれに耐えられないだろうことは想像がついた。

 転勤を告げると、彼女は目を見開き、食器を取り落とした。髪を振り乱し迫ってくる恋人の形相は恐ろしく、命の危機すら感じた。私は助けを求めようと姉を振り返る。だが、ついさっきまで一緒にいた姿は忽然と消えていた。

 私は胸騒ぎを覚えながら家中を逃げ回り、姉を探した。辿り着いた風呂場で、姉は浮いていた。水の中に体を沈め、目を剥いていた。思考が白く塗り潰される。私は無我夢中で姉を引き摺り出し、蘇生措置を行った。心臓マッサージを十回。人工呼吸を二回。それを延々と、延々と繰り返す。どれだけの時間が経っただろう。姉の口から少量の水が噴き出し、瞼が揺れる。間に合った。間に合ったんだ。どっと安堵が体全体に落ちていき、自然と涙が目から溢れ出した。姉を殺そうとしたはずの恋人のことも完全に忘れて、恐怖からの解放に震えた。

 

 

※※※

 

 

 そこでようやく目が覚めた。じっとりと背中に冷たい汗をかき、湿った額を指で拭う。ここは家で、今は朝で、愛の重い恋人も存在しなかった。むくりと体を起こす。その後まず私がした動作といえば、スマートフォンで「夢占い 恋人 家族 殺す」を検索することだった。

 夢占い、というのはその日見た夢の内容で今の状況や未来に起こり得る兆しを占うというものだ。例えば「追いかけられる夢」を見る時は「強いストレスやプレッシャーがかかっている状態」だとか、「転ぶ夢」を見ると「これから乗り越えるべきアクシデントが起きる予知である」とか。まあ、はっきり言ってかなり胡散臭い。科学的な根拠は今のところ聞かない。(もしあったら教えてください)

 世の中には占いを毎朝チェックするような熱心な人もいるが、私は違う。正直、エンタメ程度にしか考えていない方の人間だ。そもそも血液型で人間が4タイプに分かれる道理も、星座で12タイプに分かれる道理もない。「真面目で、正義感が強く、理想主義的」なんて書かれれば、たとえ正義感が特別強くなくとも、一つか二つ特徴が当てはまれば、人は自分のことだと認識する。そうやって、占いというのは必ず何かが当てはまるようにできている。

 そして不思議なもので、「あなたは優しい人」と言われ続ければ優しくなるのが人である。トイレにある「綺麗に使っていただきありがとうございます」の張り紙と同じだ。

 それでも、悪夢から覚めた私の最初の動作は夢占いを検索することだった。この悪夢に何か原因や意味があってほしいと祈って、まるでキリスト教徒やイスラム教徒、仏教徒……世界様々な宗教を信じる人々が朝日の中で礼拝をするように、私はベッドの上でGoogleの検索ボタンを押したのだ。

 

 

 高校生の頃に交わした、なんてことのない会話を今でもよく思い出す。当時通っていた予備校の面談で、私はそこの社員と雑談していた。K先生は優しく、生徒一人一人の顔と名前を覚えるのが得意な、良い人だった。

 そのK先生が突然、「宗教なんて無くなってしまえばいいのにな」と言った。宗教があるから、今も人は争い続けているんじゃないか、と。どんな話の流れで宗教の話になったのかは覚えていないのに、自分の非現実な空想を可笑しく思うK先生の弧を描いた唇ばかり覚えている。

 瞬時に浮かんだ「違う」という言葉が声となって咄嗟に口から飛び出た。けれど何が違うのか、その説明は高校生の私には続けられず、ただもどかしく口籠った。何を言えば良かったのか、何が正しいのかは今もわからない。だから考え続けている。

 その一つの、答えらしきものを考えたので、お伝えしてもよろしいでしょうか、K先生。

 宗教とは、信心とは、誰にも傷つけられない、「人の心の最後のよすが」なのではないだろうか。自分の力を信じてもどうにもならない時、人は何かを信じたい、と願う。燃え広がる戦火の中、逃げ惑う人々が神様、と呟く。合格発表の掲示板の前で既に試験を終えた受験生が神様、と祈る。そこには悪夢に魘された人間が必死に夢占いを調べるような、誰にも咎められない、心の拠り所が残されている。

 日本人は無宗教、という論が間違っていることは既に様々な先人が指摘しているが、その通りだと思う。神や仏や姿形として表れているものでなくとも、私たちは寺社に行けば手を合わせ、行かなくとも超常的な「良いことを起こしてくれる何か」を信じようとする。その心の動きは誰にも奪えるものではないし、奪ってはならない。争いが起こることは、その次の問題だ。

 ……とまあ、考えてはみたものの、もうK先生は名前も覚えていないし(K先生=仮の先生)、連絡を取る術もないからここに書いているのだが。

 

 ちなみに、恋人が家族を殺す夢の夢占いの結果は「親しい家族からの自立を図ろうとする心理」らしい。んなアホな、と思う反面、新生活を始めた今の状況と合っていると言えなくもない微妙な結果であることを報告して、今日はここまでで許されたい。終わり。

 

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