由利カオル

目標週一 実質月二 エッセイなど

#1 「やっぱKing Gnuってすごいわ」

 

 

 午後九時。ふと思い立って友達に電話しようと思った。夕食も食べ終わり、見る予定のテレビもない。資格試験の日程が三日後に迫っていたが、この時間から勉強するつもりもなかった。

 一ヶ月ぶりに話すその名前を友達検索欄に入れる。仲の良かったはずの友達の名前を検索しないといけない時ほど、すっと冷えていくような気持ちになることはないだろうと思う。そこにはただ単純な「最近話してない」という事実以上に「きっと探してもすぐ出てこない」という乾いた諦めがある。

 就職して二ヶ月が経った。入社したての頃はしきりに緊急招集だの何だのと言って夜に集まっていたグループ通話もめっきり落ち着いた。最初にできた、仕事が辛い話はもうしないだろうと思う。辛いことを辛いと言うのは辛い。人と比べて、どうして自分だけが、と哀れむ時期もとうに過ぎてしまった。そして何より、辛いことにも人は慣れていく。適応力の生き物、というと聞こえがいいが、惰性の生き物であるとも言える。ナマケモノ、にナマケモノとつけた人はどんな気持ちだったんだろう。人間と区別する意図でつけたなら随分傲慢な話だと思う。

 電話かけていい、と文字を打つ。しばらくして既読がつき『月曜日以降なら!』と返ってきた文字列を見た時には滲みるように胸が痛んだ。

『今日でもいいけど!』

『あ、じゃあ今かけるわ』

 今日でなければかけられない気がした。多分あさってやしあさってでは駄目だった。

 一ヶ月ぶり、いや二人きりで話すのは数ヶ月ぶりだろう友達の声音は、硬かった。どうしてかけてきたのかわからないためだ。私も答える術がない。ただ何かに駆られるようにかけただけだ。

 最近の近況やら下らない話をして、だいぶ空気がほぐれてきた時、ふと、声が漏れ出た。

「体調は大丈夫なの」

 あっ、と私は心の中だけで叫んだ。言ってしまった、という感情の前に自分がどれくらい自然に発話できたのかが気になった。友達は朗らかに今は問題ないよー、と答え、私もそうなんだ、良かった、と当たり障りのない返答をしたはずだが、あまり覚えていない。そうして、二時間の通話は終わった。

 

 

 「元気だ」という声を聞いて満足したかった訳ではないことには、電話を切ってから気が付いた。

 きっかけは、こうだ。SNSで、普段明るい彼女の呟きを見つけた。体調が悪くなっている、という淡々としたツイートの他に、食事制限を始めた時期の親との関係について書いてあった。彼女は中高生の頃から難病を患っているが、高校三年生の時のクラスで私が知った頃には、既に小康状態にあった。治療法もなく、いつ悪くなるかもわからない状態だと聞いたことはあるが、生き生きとして清しい、初夏の木々のような彼女を見ていると、ナンビョウ、という言葉とは無縁のように感じていた。

 いわんや、きっとよくなると声をかけた親に対して「無責任なことを言うな」と泣いて喚いたという姿など想像できるはずがない。それくらい、私の記憶の中の彼女はいつも楽しそうで、愚痴や不満を言うことがあっても、結局口の端は笑っているような、そんな子だった。

 衝撃を、受けたのだろうと思う。彼女が悲しんだり怒ったりするという当たり前の事実は元より、当たり前の事実を想像してこなかった自分にも。その呟きを見た瞬間、ぴしゃりと雷に貫かれたような気持ちになって、私は即座に何かしなければと焦った。何か話さなければ。でも何を。大変だったね? そんな言葉は何も知らないのに言えない。じゃあ教えてくれ? それも高圧的で、何のためかもわからない。そもそもその人の辛い時期を知ったところで私が同じ辛い気持ちを経験するわけじゃない。どこまでも想像でしかない。というか、彼女が何かを辛いと私に話してくれたことはあっただろうか。そういえば一緒に旅行に行った時、私はどれくらい彼女の体調を気にしたっけ。

 そういうことをぐるぐると考え始めて、結局何もできずに残されていたしこりのようなものが、土曜の午後九時になって急に迫り上がって来た。しこりは私の指の関節となり、無い喉仏となり、メッセージを打ち、発音した。

『久しぶり』

 

 

 愚痴を話してほしい、と思うことには様々に身勝手な作用があるのだと思う。頼る人間に選ばれた感覚、話すことで楽になってほしいという願い、自分がこの人を苦しめている訳ではないという安心。私だって、私を苦しめている職場の次長に「仕事が辛いです」とは言わない。

 でもそれらと同じくらい、人の悲しみを、怒りを、嫌悪を知りたいと思う。何を重大に思うのか、何に無関心なのか知りたい。大切なこの人がいつ、どんな時に傷つくのか知りたい。そして、何より同じ方法でこの人を傷つけたくない、と思う。

 彼女が好きだ、と思う。優しく頭が良く、人を傷つけない彼女を傷つけて、自分から離れていってしまったら、きっと後悔する。

 LGBT法案に反対・差別する人の「少子化が進む」論にはほとほと呆れるが、逆に愛の力を信じていてすごいな、と捻くれた私は考えたりする。だって、少子化が進むということは、異性愛者が同性愛者になると、愛に性別は関係がないと信じていることにならないだろうか。(勿論、最初から自分と同じ性別が好きで生まれてくる人や、自認する性別が社会に括られた二つに合わない人がいる上、国家から出産を勧められる道理もないので筋違いな論なのだが)

 私は、友愛と恋愛の違いが大きいとは思っていない。性的衝動がなければ愛ではない、とも思わない。好きだからそこにいてほしい、と思う。傷つけて遠ざかられたくないから、たとえ今は未熟でも、いつかは彼女がちょっとした傷でも見せてくれるような人になりたい。

 

The hole

The hole

  • provided courtesy of iTunes

 

 やっぱKing Gnuってすごいわ。『The hole』で「僕が傷口になるよ」って歌っちゃうんだもん。藝大卒だからか。違うか。才能と努力の方向を時代と合わせてるんだろうな。ヤンキーが藝大を目指す漫画、『ブルーピリオド』がめちゃくちゃ面白いということをお伝えして、今日はここまでで許されたい。終わり。